心配とは、他人を思いやる優しい心です。
その優しさは必ず、人が生きる上で心の支えになります。
大切な人を心配する気持ちは、
大切な分だけ大きくて強いもの。
特に、親が子を心配する気持ちというのは、
素晴らしい未来に導いてあげたい思いから、
より一層強いものだと思います。
「あなたを大切に思っているよ、安心してね」
心配によってそんな思いが伝わるといいのですが、
心配のかたちによっては相手にとって心の負担になることがあります。
今回は、ぼくが不登校だったときに親がくれた、
心配のかたちを振り返りながら書いていきたいと思います。
落ち込んでいる人を心配するときに、心に留めておきたいこと。
ぼくが、誰かを心配するときに、
気をつけなきゃと意識していることが2つあります。
一つは、
『心配にはされて嬉しい心配と、
されると辛い心配があるということ』
そしてもう一つは、
『心配する気持ちが相手に伝わるとき、
同時に”自分の願いも伝わる”ということ』
されて嬉しい心配というのは、
怪我をしたときや、風邪をひいたとき。
伝わる願いは、安静に過ごしてほしい、
健康であってほしいという願いです。
これがなぜされると嬉しい心配なのかと言うと、
”自分の存在自体を大切に思ってくれる気持ち”が伝わるからです。
では、されると辛くなる心配とは。
ぼくの場合、学校に行けなくなった当初に親がしてくれた心配でした。
『学校に行けないことで将来はどうなるのか』という心配。
伝わった願いは『とにかく学校に行ってほしい』でした。
このように”自分の具体的な行動を願われる気持ち”が伝わると、
されると辛い心配になるのではないかと思います。
具体的な行動を願われることは、
『今のままのあなたではいけない』と言っているのと同じです。
そうすると、存在自体を否定されたように感じます。
親の願いはよく分かる‥
学校に行かなきゃ‥でも行けない‥
自分の将来は真っ暗だ‥
ぼくは不登校のとき、そんな風に思っていました。
親が子の行動を願い、心配をするのは当然のこと。
『もっとこうしてほしい』と、
具体的な行動を願ってしまうことだってありますよね。
でも、その具体的な行動を願う気持ちの根本を見れば、
そこにあるのは、子どもの存在自体を大切に思う気持ちなんです。
『ただただ幸せであってほしい』という、
愛情に溢れた純粋な願いなんですよね。
学校に行ってほしいという願いは、
学校に行くことでしか叶いません。
仮に学校復帰できたとしても、
気持ちのしんどさがつづくようなら解決ではありません。
ましてや、しんどさが膨らむ可能性が増します。
学校に行きたくないし家にも居場所がないというのは、
心の休まる時間と場所がまったくない最悪な状況です。
学校復帰するしないは別の問題として考え、
『ただただ幸せになってほしい』
という根本の願いに気づくと選択肢が増えます。
ぼくが不登校になった当初親は、
なんとかぼくを学校に行かせなきゃいけないと必死になっていました。
でも、あることがきっかけ(これについてはまた)で不登校を受け入れてくれ、
ぼくを変えるのではなく、まず自分を変えようとしてくれました。
不登校について書かれた本を読んだり、
不登校の子を持つ親の会に参加したり、
カウンセリングに行ったり。
一度自分の価値観を壊して、不登校を知ろうと努力してくれました。
それにはものすごく抵抗があっただろうし、
大きな覚悟が必要だったのではないかと思います。
ゆっくり、じっくりと。
そうすることでいつからか、
少しずつ不登校を受け入れてくれるようになりました。
そして、この言葉をかけてくれるようになりました。
『ゆっくり休んでいいよ、学校に行くことが全てではないから』
きっと、最初は本心ではなかったと思うんです。
だけど、本やカウンセリング、色々な方の考えに触れ、
ぼくの心を休ませたくて、安心させたくて、
がんばってくれていたのだと思います。
この言葉をかけてくれたとき間違いなく、
ぼくの具体的な行動ではなく、ぼくの幸せを願ってくれていたんです。
親がぼくの状態を受け入れてくれたことで、家で心が休まるようになり、
自分の調子を取り戻したことをおぼえています。
ぼくの場合は、ずっと不登校のままでしたが、
自分の調子を取り戻すことで学校復帰につながることもあります。
いまの自分で大丈夫、自分が自分であっていい。
親がそう思わせてくれたことで、
ぼくは自分の望むことを親に相談できるようになりました。
振り返ると、あの頃からどんな場面でも、
親は自分の願いは置いておいて、
ぼく自身が望むことを応援してくれていました。
そしてぼくも大人になったいま、誰かを心配するときは、
相手の望むことに耳を傾けるように意識しています。
傷ついている人、落ち込んでいる人。
そして、自分の思いが強くなる大切な相手ならなおさら。
こう考えるようになったのは、
ぼくの不登校と向き合ってくれた親との、
こうした経験があったからだと思います。
このメッセージがいま不登校に悩む方の何か参考や力に、
少しでもなれると嬉しく思います。
今日もあなたとあなたの大切な人が笑顔が過ごせるように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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