忘れたくないことを書こうと思う

日常の中には、忘れたくない出来事がある。
特に息子が生まれてから、そんなことが山ほどある。

だけど、残念なことにぼくはとにかく忘れっぽい。

例えば、読書が好きでよく本を読むけれど、内容はほとんど覚えていない。

ぼくにとって読書とは、記憶が薄れないうちの自分に影響を与えてくれるものだ。

内容を忘れても、なにか物事をはじめるきっかけとなったり、
取り入れたことが習慣として残っていたらいい。

半ば諦めのようにそう思ってきたけれど、
知識があってすらすら自分の考えを言葉にできるひとをやっぱり羨ましくも思ってきた。

そして「勉強したことは、ひとに話すことで記憶に定着する」という誰かの話しを思い出した。

ぼくは勉強ではないけれど、日常の忘れたくない出来事を、誰かに話すように書いていこうかな。
そう思ったのが、このブログをはじめたきっかけの一つだ。

でもいざはじめてみるとまた迷いが生まれてきた。
自分よがりなブログ、読みたいひとなんて絶対いないしなぁと思い、
さっそく更新することにつまづいていた。
どんなことを書こうかと、ちょっと考えすぎて構えてしまっていたのだ。

誰かのためなんてそもそもおこがましい考えだったのだ。
まずは自分のために書いていこうと思う。

今日また忘れたくないと思うことがあったから。
些細な日常のことも書こう。

今日、そんなきっかけを息子がくれた。

Photo by Angelina Litvin on Unsplash

息子とお風呂で体を洗っていたときに「パパのせなかあらう」と、息子がぼくの後ろにまわったのだ。

ぼくは、お言葉にあまえて「えー!うれしいわ!それじゃお願いします」と、子ども用のボディソープの泡を掴んで手渡した。

小さな手で、ちゃんとゴシゴシ背中をこすって、最後はシャワーで洗い流してくれた。


そういえば、ぼくが子どもの頃に、父と洗い合ったりしたことがあったかなと思う。
なんとなく、家族のあたたかい風景というか、どこか定番の光景というか。

時代もあるのかもだけど、大人になってからそんなことを経験するなんて想像したこともなかった。


息子がぼくに心を許してくれていることが嬉しかった。

自分が息子の父親なのは当然だけど、息子と過ごす中で、
息子との様々な体験を重ねて少しずつ父親になっていく。

息子が必要としてくれるとき、一緒に笑い合うとき、
日常の中で、ふと自分がひとの父親なんだと実感することがある。

また一つ実感した今日の出来事だった。

はじめて息子が背中を流してくれた今日のことをぼくは忘れたくない。


それとまたもう一つ嬉しいことがある。
息子がいまぼくの布団で寝ているのだ。

こうして書いてみると、ただただ普通のことのように思える。
でもこれもはじめてのことだ。

ぼくは、寝相がわるく、息子と一緒に寝ることをこれまで自粛してきたからだ。

はげしく寝返りをうってぶつかっては危ない。
さらに、一度寝だしたらなかなか起きないから、
息子が起きてなにかをうったえてきても気づけない‥。

だから同じ部屋ではあるけれど、いつも別々の場所で寝ている。

二人で留守番しているときに昼寝を一緒にすることは何度もあったけれど、
夜一緒に寝ることは一度もなかった。

ただ最近、息子がぼくと寝ることを楽しみにしてくれている。
息子が夜中に起きたとき、ぼくが寝ていると隣にきてくれたり。
また、夜中にこない日も、朝起きると「パパとねるー」と言ってやってくる。

たまたまかと思っていたけれど、それが最近のお決まりパターンになっている。

夜はいつも妻が息子の寝かしつけをしてくれる。
だけど、今日は誰もいないぼくの布団で寝て「パパとねる」と言っていたらしい。

つい3ヶ月ほど前は、なにかと「おかあさんじゃないといや!」と言っていたことが嘘みたいでびっくりしている。
またころっと気が変わって相手にされないときがくるかもしれないけど。笑

最近、息子の行動に癒されていて、生きる活力になっている。


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