親が子にできること

数分過ごすだけで、なんであんなにぽんぽんとアイデアが生まれてくるのだろう。

100円ショップってやつは。

「あ、この入れ物だったらチャックもついてるし、本みたいな形だから、いつも片付け方に困っていたパズル、本棚に収納できるわ」

とか、

「このどうにでも変形できる棒で、息子が遊んで開け閉めする棚の扉を固定できるわ」

とか、

「ちょっと貼り絵アートでもはじめてみようかな」

とか言ってる。

言ってるし実際買って、実際やってる。


100円ショップでの買い物は、
だいたい買おうと思っていたもの以外のものの方が、多くカゴに入っている。

無理もない。
溢れ出るアイデアのせいだ。


その日は踏み台に目が止まった。


最近、息子が歯磨き粉を使うようになり、
磨いたあと口をゆすぐようになった。
そのために息子の体を毎回持ち上げるのだが、
なんとも中途半端な高さキープする必要があり、まぁ大変だったのだ。

普通は、家でそうしているときに、

「あぁ、踏み台があったら一人でできるかも」

と思いそうなものだ。

アイデアというのは、必死なときには生まれない。

いつだって発想をめぐらすには、心の余裕が必要だ。

Photo by Kumiko SHIMIZU on Unsplash


100円ショップに100円以外のものが売られ始めた頃のことをよくおぼえている。

「100円ちゃうやん!話しが違うやん!」と、心の中でツッコんでいた口のぼくなんだけど。
最近は、掟破りの200円以上の商品に興味がそそられたりする。

100円のルールをやぶってまで、制作し販売すべき熱意すら感じる。
そして、掟を破っても消費者に届ける必要のあるいい商品なのだ。

踏み台は400円だったと思う。

前置きが長くなったけれど、
この踏み台のおかげで、息子は一人で口をゆすげるようになった。


また、一人で手を洗えるようにもなった。

自分で出してきた踏み台に乗り、水道を出す。

ハンドソープを使ってこすり、水で流す。

水を止め、踏み台から降り、タオルで手を拭く。

踏み台を使うようになってからも、
これまではどこかしらの工程で手を差し伸べていた。

昨日、はじめて全部自分でやる姿を見て、
ぼくはとなりで思わず拍手をした。

それをきっかけに、ハンドソープの定位置を、
息子が使いやすい右側に引っ越すことにした。

毎日ふとした場面におとずれる、
こうした息子の成長を嬉しく思う。

そんな頼りになる姿を見て喜ぶ反面、
まだまだ子どもでいてほしいといった気持ちもどこかにある。

気分によっては、まだまだ「ひとりじゃできないの!」と駄々をこねるので、
そんな子どもらしさにふと安心したりもする。

Photo by Milan Ivanovic on Unsplash

ぼくは子育てに、いつも確信が持てないでいる。

この対応でよかったのかな。

もっとこうすればよかったな。

そんな反省の連続だ。


これまでは年齢的に自分のことができない息子に対して、
親として手を差し伸べてきたことばかりだった。

これからは少しずつ、分かりやすく、
親の手を離れていくことが増えるのだろう。



息子が、一人で挑戦できることなら、
その環境をできる範囲で用意する。


きっとそれが親としてできることだ。

このことは、いま気づいたわけではないし、なにも時別な発想でもない。

前から大切にしていたいと思っていたことだけれど、改めて強く感じた。


踏み台に乗り手を洗う息子の姿が、
あまりにそのことを表していたから。


その光景を心に留めておこうと思う。


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