なんでもない会話で笑い合えることがなによりも幸せ

「アンパンマン」と言えない0歳の頃から、息子はアンパンマンが大好きだ。

言葉を少しずつ話せるようになる中で、
どんな子も「アンパンマン」と発音するのはむずかしいと思う。

「アン・パン・マン」よく似た響きの単語が3つも組み合わさっているのだから無理もない。

完璧に言えるまでの間に、どんな子もそれぞれにオリジナルの呼び方があると思う。

息子は「アンマン」だった。




よく、子どもが先生のことを「お母さん」とよんでしまったり、
お母さんのことを「先生」とよんでしまったりする。

ぼくも小学時代にやってしまったことがある。

子どもあるあるだ。

それと同じケースで、ぼくは息子に2回くらい「アンパンマン」とよばれたことがある。
そのくらい、成長していく息子のそばにはいつもアンパンマンがいた。

「いた」というとアンパンマンを卒業したような言い方だ。

実は、卒業したのかしていないのか分からないのだけれど、
最近、めっきりトーマス好きになったことははっきりしている。

あれだけ好きだったアンパンマンを見たいと言わなくなった。

一つ心残りなのは、コロナの影響でアンパンマンミュージアムに行けなかったことだ。
アンパンマンが好きな小さなうちに絶対行きたいと、ずっと楽しみにしていたから本当に残念だった。

「今度アンパンマンの映画あるんだけど、観に行く?」

先日、息子に聞いてみた。

前に、トーマスの映画を観に映画館に行ったのだけど、
映画館をとても喜んでいた様子だったので、
また行かせてあげたいと思っていたのだ。

息子はアンパンマンの映画の誘いをとても喜んで、
最近またアンパンマン熱がもどってきのだ。

最近録画していなかったので新しいストックがないのだけれど、
これまでに見つくした放送をまたよく見ている。

ふいに「アンパンマンのえいが、たのしみだね」と話しかけてきたりして、
誘ってよかったなと思っている。

そして、まだ卒業していなかったんだなと、なんだか嬉しくなった。

昨日、お風呂に入っているときのことだ。

いつもおもちゃを使って遊ぶことがほとんどなのだけれど、
その日はずっと会話をしていた。


「今度行くアンパンマンの映画、なんのキャラが出てくるやろう?」

という話しになって「〇〇出るんちゃう」と予想する流れに。

それが発展し「まさかそんなキャラ出ないやろう!」
というキャラを言い合う、ふざけ合いの流れに。

お互いの口から、色々なキャラの名前があがるたびに笑いが生まれる。

そして、いつの間にかアンパンマンのキャラの名前を思い出せるだけ全部言おう!
という遊びになっていた。

キャラの名前が一つ出ると、それに近しいキャラの名前がぽんぽんあがる。

とにかく、キャラ名を言うたびに二人でゲラゲラ笑った。

はたから見ると、そこになんのおもしろい要素もないのだろうけど、ずっと笑い合っていた。



こうしたなんでもない会話にも関わらず、ゲラゲラ笑い合える。


そんな時間を過ごして、これがなによりの幸せなのだと思った。


さて、夜中にこれを書いているのですが、
早く寝ないと明日の映画館で眠たくなってしまうので、、
早く寝ます!おやすみなさい。


翌日、アンパンマンの映画、とても楽しんでいました!


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