2歳の息子、散髪するのは何度目だろう。
いつからか数えなくなった。
「短くなって洗いやすかったでしょ」
お風呂上がり、散髪したての息子の髪を乾かしながら妻が言った。
ついさっきまで、目にかかるくらいに伸びていた息子の髪。
「うん、乾くのも早いな」そんな会話をしながら、
眉毛がしっかりと現れた息子の表情を愛しく思う。
「丸坊主も似合うかも」
「今年の夏は丸坊主にしてみるか」
「よく似合いそう!本人がよければだけど」
そんな会話をしながらふと思い出した。
息子が生まれてはじめて散髪をしたときのことを。
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あのとき、ぼくたち夫婦は少しさみしい気持ちをもっていた。
「そろそろ散髪しなきゃいけないか」
その時期はよく息子の髪型の話しをしていた。
柔らかい毛がアンバランスに伸びたガタガタの髪型。
後頭部は布団でこすれて薄くなり、
横髪だけやたら長く、くりんと外にカールしていた。
生まれてからそれまでの間、
息子の成長と共に自然と形作られた独特な愛らしい髪型。
それがきれいに整うことのさみしさだ。
そしてもう一つ、なにより切り離すことのさみしさだ。
妻のお腹の中にいた頃からずっと一緒にいた髪の毛。
妻からすると、そのさみしさはぼく以上だろうと思う。
散髪という行為にさみしさを感じることがあるなんてはじめて知った。
そして、息子のはじめての散髪。
「よし切るよ」
「うんお願いします」
妻がゆっくりと息子の前髪をはじめて切ったとき、
息子の顔を見てぼくは感情が思わず声に出た。
「可愛い顔がよく見えていいわ」
前髪を切った瞬間、さみしさはすっと消え、
むしろ心が晴れたような気持ちになった。
そして自分がその言葉を発したとき、
途端に懐かしさがよみがえってきた。
そうだ、これは祖母がぼくにかけてくれていた言葉だ。
散髪をした後に祖母に会うといつも
「おとこ前の顔がよく見えていいわ!」と言ってくれた。
ぼくが26歳のときに亡くなった母方の祖母。
ぼくが子どもの頃からずっと、
大人になってからも髪を切るたびに言ってくれた。
毎度のことだったから「あはは、ありがとう」なんて返しながら、
当たり前のような、お決まりのやりとりになっていた。
あれは、お世辞でもお決まりの言葉でもなく、本当の言葉だったんだ。
すごく優しい祖母で、いつも愛情をそそいでくれていた。
たっぷり甘えてきたし、大切にしてもらってきた。
そのことをぼくはよく知っていたはずだ。
だけど、祖母と同じ言葉が自分から溢れたとき、祖母の気持ちを深く知った気がした。
そうか、祖母はぼくたち孫のことがこんなにも可愛かったんだ。
ぼくが息子を愛しく思う気持ちのように、
祖母はぼくをこんなにも大切に思ってくれていたんだ。
そのことが嬉しかった。
あれからも息子が髪を切るたびに、
祖母の言葉を思い出す。
そして毎回息子に言っている。
お決まりの言葉なんかじゃなく、
本当の言葉で「可愛い顔がよく見えていいわ」と。
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