数分過ごすだけで、なんであんなにぽんぽんとアイデアが生まれてくるのだろう。
100円ショップってやつは。
「あ、この入れ物だったらチャックもついてるし、本みたいな形だから、いつも片付け方に困っていたパズル、本棚に収納できるわ」
とか、
「このどうにでも変形できる棒で、息子が遊んで開け閉めする棚の扉を固定できるわ」
とか、
「ちょっと貼り絵アートでもはじめてみようかな」
とか言ってる。
言ってるし実際買って、実際やってる。
100円ショップでの買い物は、
だいたい買おうと思っていたもの以外のものの方が、多くカゴに入っている。
無理もない。
溢れ出るアイデアのせいだ。
その日は踏み台に目が止まった。
最近、息子が歯磨き粉を使うようになり、
磨いたあと口をゆすぐようになった。
そのために息子の体を毎回持ち上げるのだが、
なんとも中途半端な高さキープする必要があり、まぁ大変だったのだ。
普通は、家でそうしているときに、
「あぁ、踏み台があったら一人でできるかも」
と思いそうなものだ。
アイデアというのは、必死なときには生まれない。
いつだって発想をめぐらすには、心の余裕が必要だ。

100円ショップに100円以外のものが売られ始めた頃のことをよくおぼえている。
「100円ちゃうやん!話しが違うやん!」と、心の中でツッコんでいた口のぼくなんだけど。
最近は、掟破りの200円以上の商品に興味がそそられたりする。
100円のルールをやぶってまで、制作し販売すべき熱意すら感じる。
そして、掟を破っても消費者に届ける必要のあるいい商品なのだ。
踏み台は400円だったと思う。
前置きが長くなったけれど、
この踏み台のおかげで、息子は一人で口をゆすげるようになった。
また、一人で手を洗えるようにもなった。
自分で出してきた踏み台に乗り、水道を出す。
ハンドソープを使ってこすり、水で流す。
水を止め、踏み台から降り、タオルで手を拭く。
踏み台を使うようになってからも、
これまではどこかしらの工程で手を差し伸べていた。
昨日、はじめて全部自分でやる姿を見て、
ぼくはとなりで思わず拍手をした。
それをきっかけに、ハンドソープの定位置を、
息子が使いやすい右側に引っ越すことにした。
毎日ふとした場面におとずれる、
こうした息子の成長を嬉しく思う。
そんな頼りになる姿を見て喜ぶ反面、
まだまだ子どもでいてほしいといった気持ちもどこかにある。
気分によっては、まだまだ「ひとりじゃできないの!」と駄々をこねるので、
そんな子どもらしさにふと安心したりもする。

ぼくは子育てに、いつも確信が持てないでいる。
この対応でよかったのかな。
もっとこうすればよかったな。
そんな反省の連続だ。
これまでは年齢的に自分のことができない息子に対して、
親として手を差し伸べてきたことばかりだった。
これからは少しずつ、分かりやすく、
親の手を離れていくことが増えるのだろう。
息子が、一人で挑戦できることなら、
その環境をできる範囲で用意する。
きっとそれが親としてできることだ。
このことは、いま気づいたわけではないし、なにも時別な発想でもない。
前から大切にしていたいと思っていたことだけれど、改めて強く感じた。
踏み台に乗り手を洗う息子の姿が、
あまりにそのことを表していたから。
その光景を心に留めておこうと思う。
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